タロコ族について
 
流れが渦巻く夢 — 太魯閣族
 
全ての人の心の中には夢があります。現実の生活において困難に面した時、夢は我々に困難に立ち向かう力を与えてくれます。高山や渓流の畔に住む太魯閣族の言い伝えによると、彼らが帰る祖先の霊が守る虹の橋は、まさに彼らが夢に見る邂逅の地なのです……

昔からの太魯閣族の間では、「顔に入れ墨を持つ者だけが、死後、祖先の霊が守る虹の橋へ行くことが出来る。」と言われています。また彼らは、顔にトーテムを彫ることが彼らの現世での最終目標であり、死後、祖先の霊のもとへ行く唯一の条件であると固く信じています。

時代は流れ、歴史の渦に飲み込まれた太魯閣族は昔とは異なり、額・頬・下唇にその象徴的な美しい模様を残してはいません。しかしそれが象徴する意義は、太魯閣族の精神に残されています。織物・彫刻・祭りから生活のひとつひとつまで、太魯閣族がそれを堅持している様子がうかがえます。



gayaの歩みに従い、山を越えてやって来た地Truku

かつて太魯閣族は未来がどうなるかわからない情況のもと、祖先の霊の加護を固く信じて、奥深い谷を越え高くそびえる山を登り、中央山脈や雪山山脈の困難や障害を乗り越えやって来ました。そして彼らはついにさらさらと水が流れる美しい立霧渓と木瓜渓の畔にたどり着きました。目の前に広がる美しい景色を見て、当時彼らはその美しさに驚き思わずTrukuと口にしたのです。

今から300~400年前頃の当時、Trukuという太魯閣族の言葉は、「山の中腹の平地」、「住むことが出来る土地」という意味を表していました。その後100年の歴史が流れ、現在の花蓮県秀林郷は太魯閣族が最も多く住む土地となっただけでなく、Trukuというこの称賛の語句は、今日国内外の観光客が競って訪れる太魯閣の地名の由来となりました。

太魯閣族は花蓮に定住した後も、祖先の霊に対する崇拝と信仰を持ち続けました。gayaの指導のもと、太魯閣族は父系社会により構成されています。家の財産は男性により引き継がれ、一夫一婦制で、近親婚は厳格に禁じられています。婚礼は一般的には新郎の家で行われ、友人たちが宴の準備を行います。新郎側は槍・珠衣・農具等の贈り物を用意し、新婦側は布織りに必要なはたおり機の嫁入り道具以外に、新郎側の家族へ織物を贈ります。そして婚礼の過程で、双方が豚を絞めて友人たちにふるまい、楽しい宴をよりにぎやかにします。

実際のところ、太魯閣族は元々居住していた南投から、苦難な長旅を続けて現在の花蓮に渡りました。この民族の独特な風習は、彼らの祖先の霊に対する崇拝とgaya信仰にあります。これにより強められた求心力は、あらゆる祭礼イベントや日常生活と祖先の霊を結び付けています。中でも特に印象深いのが入れ墨の文化です。

祖先の霊が守る虹の橋へ帰る

太魯閣の古い伝説によると、人はすべて死後に祖先の霊が居る霊界へ帰ると言われています。そして祖先の霊が守る霊界の虹の橋のもとへ行き、入れ墨がある者だけがその虹の橋を渡ることが出来るのです。祖先の霊が居る霊界へ帰れなければ、虚無の天地の間を漂うしかないとも言われています。

入れ墨をする際には、びっしりと並んだ針を使って、連続で皮膚を叩いて真皮の内部に色を入れていきます。その強烈な痛みは、手足を縛り、歯をくいしばって耐えるしか方法がありません。その後、辛い痛みがなくなるまで、およそ1か月かかります。それでもなお太魯閣族にとって入れ墨はこの上ない栄光であり、この「神聖な儀式」をやめる理由はどこにもないのです。

また、この美しい模様は、太魯閣族部族の生命と財産を守ることのできる勇猛で強い太魯閣の男性のみが唇の下に「頤紋」を入れることができ、女性は高い布織り技術を持つ者だけが顔の頰に「頰紋」を入れることが出来ます。言い換えれば、強健な体を持つ男性と優れた手芸の技術を持つ女性が部族を維持してきたと同時に、彼らは太魯閣族の中で最も崇拝された存在なのです。

時代の移り変わりにより、太魯閣族はすでに狩猟や焼き畑農業といった伝統的生活法を行っておらず、敵の急襲に備える環境のもとで生活したり、戦って敵の首領の首を取るといった生活は行っていません。しかし精密な布織りの技術や祖先の霊を崇拝する伝統、虹の橋に帰るという文化精神は、ある種の形式で太魯閣族の生命に存在し、伝承され続けています。


織物がとりもつ太魯閣族と祖先の霊との交流

虹の橋を渡るという心の中の永遠の夢を実現し祖先の霊のもとへ帰るため、すべての太魯閣の女性はおぎゃあと生まれ出たその時から、人生の重要な目標である、巧みで熟練した布織りの技術を身につけるため教育を受けます。

子どものころから彼女たちは年長者の布織りを見て育ちます。母親やおばさんたちは布を織りながら、優しく丁寧に子どもたちに「この織り模様を甘く見てはいけないよ。道の模様は人生の道が平和で順調に行くことを、豆の模様は五穀豊穣、菱形の模様は祖先の霊の目が永遠にあなたを祝福し見守っていることを表しているんだから」と教えます。実際、どの模様にも特別な意味が込められているのです。そして最後に太魯閣の女性たちは以下のことを知るのです。

ずっと布織りを練習し続け、太魯閣の女性は悟ります。これを完成させ、一枚の美しい作品を作り上げるためには、多くの紆余曲折と代償が必要であると。

織り方が悪ければ切ってしまうのです!ほんの少しの一般人では気づかないような小さな傷でも切ってしまいます。それは太魯閣の女性たちが、すべての織物は彼女たちの巧みな手芸を表しているだけでなく、祖先の霊との間の交流を代表していることを知っているからです。それぞれの織り模様が太魯閣族の伝統文化への揺るがぬ想いと、部族への豊かな愛情を表しているのです。



一本の刀と一握りの塩、単純で自然な生活

現代の太魯閣族の男性は入れ墨をせず、過去の狩猟をメインとした生活を行ってはいないものの、彼らはなおも伝統と祖先の霊の訓戒を守っています。耕作の際には、生活の糧を得ている大自然を尊敬する態度を堅持し、食物を浪費するようなことはありません。食材の調理も水で煮る、火であぶる、石で焼く、竹で蒸す等、簡単な方法で食器もすべて自然から入手しています。また、飲食における礼儀を重要視し、まず客人が食べてから子どもは食卓につくことが出来ます。そして、おいしい内臓は一番の年長者に捧げます。

gayaから指導を受けた太魯閣族の男性たちは多趣多芸で、狩猟に長けている以外にも素晴らしい工芸技術を身につけています。例えば藤を編んで、荷物を運ぶ際に使う背負いカゴ、物を保管する藤カゴ、魚捕りカゴ、籐の帽子等を作ります。太魯閣族の男性はたった一本の刀と一個の錐と一個の小さな木のドリルで、日常で使用する各種の実用的な工具や装飾品を作るのです。

特に貴重なのは太魯閣族の男性が誇りとしている刀です。俗に「一本の刀と一握りの塩があれば山で生活ができる」と言われています。刀は太魯閣族にとってたいへん重要な生活工具であり、狩猟・農耕・建築・飲食すべてにとって不可欠なものです。特に形状が湾月型の「銅門刀」は丈夫で鋭利でかつ形も美しく、今でも太魯閣族の男性にとって生活の必需品です。そしてこれが多くの人が太魯閣族を訪ねる理由でもあるのです。


祖先の霊を通じて部族の求心力を凝縮する

その他に太魯閣族の服飾からも彼らが伝統文化を固く守る様子が見受けられます。全体的に見ると、衣服にはそれぞれ異なった図柄・様式・線や材質がありますが、これは毎日の生活や仕事の性質によって大体分類することが出来ます。例えば、普段の着物は主に無地の麻布の服です。仕事用の衣服の材質は粗く、祭りの時は赤・黒・白を基調とした豪華な模様のある服装に、パールや貝殻など様々な材料を組み合わせた装飾品を身につけます。はっきりとした階級別には分かれておらず、首領家族の服装も一般部族と差異はありません。

しかし、衣服で最も重要なのは図柄です。全ての衣服に様々な菱形の模様があり、これは「祖先の霊の目」を表しています。特に太魯閣族の女性は白色を基調とした衣服を身につけていますが、下半身の二枚の巻きスカートにはたくさんの菱形の模様があります。また、衣服は多彩な縞柄で、これは死後の虹の橋を表しています。

総じて太魯閣族の人々はみな何をするにしても、良心に恥じることや悪いことはしない、悪口は言わないという点に気をつけています。それは「祖先の霊の目」に関連した模様を服飾や木彫りの物以外に家具などでも、日常生活でたくさん使用しているため、すぐに祖先の霊に見つかると考えているからです。

まさに太魯閣族は祖先の霊と天地万物の存在や個人・部族の禍福が関係していると考えているのです。毎年九月にアワを収穫した後、盛大な「祖先の霊の祭り」を開きます。現在、多くの名称は「感謝祭」に変更されたり「種まき祭」「布織り祭」「狩猟祭」及び「収穫祭」に分けられて開催されています。さらには祭りの儀式に嗜好を凝らした競技イベントを取り入れたりしています。例えばイノシシ捕りレース等があります。他の同様のイベントも部族の求心力を凝縮するという重要な効果があり、太魯閣族の伝統文化はこれらによってその遺産やルーツが引き継がれ、後世に言い伝えられています。